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地域言い伝え

椎ケ脇神社


椎ケ脇神社は浜松市天竜区二俣町鹿島にあります。
田代家から行きますと神社の入り口は鹿島橋を南に渡ってすぐの二俣街道西側です。
自動車の往来が結構あるので少し先の横断歩道を渡って戻りました。
入り口から石段を登りました。途中渡し舟の碑があって「船越一色村」とありました。
今の中区船越小学校の辺りと舟が往来していたのでしょうか?
石段を登りきっても社殿は見えません。100m程進んだところで森の中に社殿が見えてきました。

本殿は参道を右に折れて50m程先にありました。1591年(天正19年)に建てられた一間社流造 こけら葺のものだそうで浜松市内にある建物でも古さからいうとベスト5に入るということでした。
徳川家康の後、浜松城主となった堀尾吉晴が社殿を寄進し、テレビドラマなどで有名な大久保彦左衛門忠教も社殿造営費を出しています。
なんでも彦左衛門の兄忠世が二俣城主だったとき神社で悪さ(いたずら)をしたことに対する謝罪の意味があったともいわれています。
椎ケ脇神社は天龍川を挟んで鳥羽山、二俣城と対峙しています。
鳥羽山との間の天龍川の淵は「椎ケ淵」といわれ、ここから下流の平野が拡がっています。

祭神は闇於加美命(やみよかみのみこと)と豊玉比売命(とよたまひめのみこと)です。
闇於加美命は雨乞いや止雨の神様です。
一方、豊玉比売命は伊勢神宮外宮の神様で食物・穀物を司る女神です。衣食住のお恵みを与えくださる産業の守護神です。

この神様がここにお祀られたのには「浜松たんぼう・地域の言い伝え」のところにも出ている有玉伝説に関係したこんなお話があります。
坂上田村麻呂将軍が蝦夷征討の際、天龍川をこの辺りで渡ろうとしましたが増水していて渡れなくて困っていたそうです。
それを地元の人たちが舟を作って渡してくれたそうです。
喜んだ将軍が地元の人たちのために闇於加美命をお祀りしたら川の水が引いて瀬(島)が現れたというのです。
この瀬(島)を最初に鹿が渡ったので「鹿島」といわれるようになったといいます。

「椎ケ脇」の呼び名は「鹿ケ脇」が訛ったものともいわれています。

また、田村麻呂将軍の子供(俊光将軍)を産んだ赤蛇は蛇の姿を見られたので「潮干の珠」を置いて岩田の海(天龍川)帰ったと言い伝えられ隠れたところが「椎ケ淵」ということです。
同じように豊玉比売命には子供を産む時龍に変身したのを瓊瓊杵尊(ににぎのみこと、天照大神の孫)に見られたので恥ずかしくて隠れたという話があります。豊玉比売命を赤蛇になぞらえたのかも知れません。

天龍川が氾濫して暴れている姿を赤蛇に観たのかもしれませんがお祀りして以来、天龍川流域の水運の安全や水害から田畑をお守りする神様になったのでしょう。

暗い森の中にポツンと社殿が立つ人気の無い静かな神社でした。
帰りの西鹿島駅(遠州鉄道・天龍浜名湖鉄道)まで歩いて15分ぐらいでした。

高丘店 杉山



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