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地域言い伝え

月見天神と裸祭り(鬼踊り)

磐田地方の人々は親愛の情を込めて見付天神様と呼び人口に膾炙(かいしゃ)しておりますが、正式の社名は「矢奈比賣(やなひめ)神社といいます。いずれも九世紀に書述された「続日本後記」、「日本三代実録」に「矢奈比売天神」の名称が記載されています。

又、「正暦四年(九九三年)には大宰府天満宮より天神(菅原道真)を勧請し、これ以降、天神と称するようになったと伝承されています。この見付天神の拝殿での乱舞(鬼踊り)が裸祭りといいます。この裸祭りは、平成十二年十二月二十七日付で国指定重要無形民俗文化財に指定されています。この祭りは、見付天神社の年中祭事の中で最重要祭事で、旧暦八月十日直前の土、日曜日に勇壮に行われています。
見付天神
日付
祭神、矢奈比賣命が遠江国総社、淡海国玉神社に渡御する際に行われます。渡御にて先立ち腰みのを着用した裸姿の男性が見付地区内を練り歩き、天神社拝殿で乱舞を繰り返す事から「裸祭」と呼称されているのです。この踊りの初見は九九三年八月十一日と言われています。天神社拝殿での踊りにその後色々な要素が加味されて今日の裸祭りが形成されてきたと言えます。



 鎌倉時代のことです。毎年八月上旬になると美しい未通女のおる家の屋根に白羽の矢が射込まれます。この家の娘は、八月十日の例大祭の日には人身御供として天神廟に捧げなければならないという悲しく、忌まわしい悪習がありました。そんなことからこの祭りは「泣き祭」とも言われていました。人身御供という悲哀を伴う祭りにピリオドを打ったのが信濃国(現駒ヶ根市)の光前寺で飼育されていた悉平太郎(早太郎)という犬でした。この正義感の横溢したともいえる犬の身命を賭した行動によって人身御供が祭典から姿を消すことになりました。
悉平太郎
祭りが待つもの、待たれるものになり、地域が明るい希望に満ち、平和なところへと大変身を捧げたのです。悪習がなくなったことに歓喜した素朴な踊りが裸祭りへと昇華したものと言えます。




神代の昔から存在した人質?人柱?人身御供は色々な場面で歴史に登場しています。景行天皇の御子(皇子)だった倭建命(日女武尊)は、妃?弟橘比賣を帯同して東征に出ました。走水の海(浦賀)を渡ろうとしたところ、海神が大暴れして、海は波頭逆くものとなりましたので、倭建命の船は進行しなくなり一行は困難の極でした。そのとき弟橘比賣は身代わりとなって入水すると海神の怒りが氷解して、波が静穏となり船は目的地へ到着することができました。当浜松にもゆかり深い徳川家康公も十二年間の人質生活を余儀なくされています。城などを構築の時、地の神に供える人柱などが行われていたようです。悪しき神々やあらぶる物共を従属させるのに最愛の女や大切なものを提供して、ことを成就させた現実もあったのです。


ところで、見付天神社の名物は「粟餅」です。

磐田台地ではなく古くは焼畑農業が行われており、粟が広く栽培されていました。その名残でしょうか。又、石垣島では裸祭と祭礼には粟餅がつきもののようです。遠く海洋からのリレーなのでしょうか。この祭事(神事)全般を民俗学的見地から透視すると焼畑(焼作)文化文明?漁

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