芋掘り長者伝説について
浜松地方の三大伝説の筆頭ともいえるのがこの芋掘り長者物語りです。

浜松市鴨江に所在している甲江山・鴨江寺縁起によれば、奈良朝時代の奈良の都に替売臣(かわるめのおみ)という豪商がいました。
其の子に芳枝という世にも類い稀な乙女がいました。八才の頃から観音菩薩を信仰して付近の観音堂へ毎日、雨の日も風の日も朝夕に参詣してあっという間に十年が経過しました。熱心な心信が通じたのかある日の夜、夢現(ゆめうつつ)に観音様が芳枝の枕元に現れて「汝は、我を念心信仰している感心な娘である。これから伊勢神宮へも参詣せよ」と言って消えました。
言われた如く、伊勢神宮に参詣し、おこもりしたところ、老僧が忽然と枕辺に佇立されてお告げがあり、娘の左の裾へ錦の袋で包んである金の玉を入れられました。そして、今から即刻に東海道を下向せよ、然らば「幸福」あるべしとのお告げがありました。夢さめて左の裾を探してみると正しく錦の袋に金の玉がありました。そこでこの芳枝は、お告げを心から信じて東下りをしました。そして、ここ遠江国、引馬の里(浜松)で偶然にも筋骨たくましく、精悍な斧を背負った若者と出会いました。
この若者は、山芋を掘り、落ちた木の実を拾い、生活していた。よもやま話をしているとき、この若者も金の玉を所有しているということから世にも不思議な縁とういことから二人は自然の成りゆきから結ばれてしまったのです。若者と芳枝は力を合せて助け合いました。奈良の都で培われた先進的な知識と知恵、若者の泉たばしる労働力が具合良く調和して、この夫婦には金銀財宝や物資、食料などが創りくに満ちあふれるような金満家になりました。里人はこの素晴らしいカップルに羨望と若干のジェラシーをこめて「芋掘り長者」とネーミングしました。
この夫婦は感心なことにいつも感謝と報思の気持を忘却することなく物心両面の満ちられた日々は、すべて観音様の御利益であると思い「観音堂」を建立することになりました。グッドタイミングなことに丁度、この時、行暮菩薩が東国へおかわれることを知り、この芋掘り長者は行暮上人に依頼して、文武天皇の頼願者として開墓をみることになりました。
この観音堂は女堂伽覧の差麗と荘厳さを兼備していたと言われています。
現在でも人々は鴨江吉域と鴨江地域を総称して「長者平」と呼称しています。私の九十四才になる母は鴨江観音に参詣に行くということは「長者平」へ行くということですかと言います。
この芋掘り長者伝説は「浜松創造物語り」が垣間見えます。ここ浜松地方は今も昔も、新しい文明や文化及び、技法、優れたよそ者をたくみに受容するにやぶさかで、開放的なところです。クリエイティブでバイタリティーに溢れ、いつもポテンシャルエネルギーを秘めた浜松っ子は、やらまいかスピリッツの文化そのものです。



(日本戦国史研究家:加藤鎭穀 曳馬在住)








