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地域言い伝え

浜松八幡宮と八幡信仰について

浜松市中区八幡町に「浜松八幡宮」が鎮座しています。

浜松八幡宮の杜は、八幡町の住民だけではなく多くの浜松市民の魂のふるさとと呼ぶにふさわしいたたずまいをいつも魅せています。

一般的に八幡信仰は、宇佐八幡宮から誕生を見せていると考えられています。現在の宇佐八幡は、「大分県宇佐郡宇佐町」にあり、祭神は八幡大神、すなわち応神天皇(誉田別尊)と比売の神(比売神)、神功皇后(大帯姫命)の三柱です。

この八幡信仰の成立、発展には永い経過があり、非常に複雑な要素をはらんでいると言えます。

日本人の多くは、今でも多重信仰であると思います。自然の不思議と驚異をご神体としてあがめ奉ってきました。それは、大木であり、巨岩や巨石、不思議な池沼、あるいは、滝であったりしました。

宇佐の原始信仰は「巨岩崇拝」に見られます。太古の人々は想像を超越したことに神霊の気を感じさせていたと言えます。

ところでその名前ですが、奈良時代までは「ヤハタ」と呼んでいました。「ハチマン」とは呼んでいない。ヤハタの由来については諸説が錯綜しています。

一、焼畑 (ヤキハタ)が訛った。
二、多くの幡 ー ハタを立てて祭るから。多数を表す八を付けて「ヤハタ」とした。
三、八幡宮は奉氏と関伐があるから。弥奉(イヤハタ)、すなわち奉氏の限りない発展(繁栄)の意味を込めてヤハタとなった。
四、海の神であるから弥海 ー イヤワダからヤハタとなった。

これらについては、「けんきょうふかい」の説話もあると思いますが、ルーツを包含しているとも言えるのでしょう。

もともと、日本の古い神話は「伊勢神」「出雲神」「諏訪神」などと、その起源となった土地の名で呼んでいることから奉氏の住んでいたところから「ヤハタ」という地名が発祥したとも考えられます。

原始八幡信仰の成立が、新羅示渡来人(奉氏)の指導によるものと推定するとき、伝統的な日本古来の神とは異なり、仏教的色彩が強く加味されていても不思議ではないのです。

720年(養老4年)、大和朝廷は、南九州の隼人を征伐するが、二の戦いに宇佐氏の法蓮という僧が大活躍しています。僧が戦うということが宇佐の特色を示しています。

この戦争で死とした隼人(はやと)の霊を弔うために、宇佐郡和尚浜でにながいを流す放生会を行ったことが我が国放生会の起源と言われています。

この5年後、725年(神亀2年)宮社として八幡宮が造立され、730年(天平2年)正月、官幣を受けるようになった。そして、大和朝廷の神社となりました。
八幡神が仏教的称号である「大菩薩」と呼ばれるのは、平安初期、781年から782年(天応年間)に護国霊威力神道大菩薩とあるのが初見です。

応神天皇が八幡となったことにより、82年(弘仁11年)には、大帯姫(神功皇后)が、母神として併祀されるようになった。シヤマニズムの伝統を受ける女禰宜の神として、すぐれた託宜能をもっと信じられていた神功皇后が迎えられたのであろう。

浜松八幡宮が鎮座している土地は古くは、「引馬から浜松」と称していたが、八幡宮が鎮座するようになって「八幡村」と改められた。

そして、八幡町となりました。浜松市中心街にほど近いこの宮の緑は本当に市民に安らぎと安堵を与えてくれます。
私も折に触れ参拝して心のリフレッシュを企画しているのです。

(日本戦国史研究家:加藤鎭穀 曳馬在住)

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