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地域言い伝え

家康の散歩道を行く シリーズ 2

第2回『家康が焼いて再建した「普済寺」』

普済寺(ふさいじ)の正式な名前は広沢山普済寺(こうたくさんふさいじ)といい、開山は寒厳義尹法親王(かんがんぎいほうしんのう)です。
順徳天皇の第3皇子といわれています。(本堂左手奥にお墓があります)

正長元年(1428年)華蔵義曇(けぞうきどん)和尚が今の地に開創したといわれています。
遠州地方の曹洞宗寺院の中心的なお寺で華蔵義曇和尚の13人の弟子が14ヶ所開いたそうで、浜松市内には西来院(広沢)、宗源院(蜆塚)、天林寺(下池川)、宿蘆寺(庄内)があります。愛知県の豊川稲荷(妙厳寺)もその1つ。湧き水(沢)の多いところだったので、?広沢山?となり、地名も?広沢?となったとのことです。

三方ヶ原の戦いの時、戦略の都合で家康によって焼かれ、後に家康が再建したそうです。その後、明治30年と太平洋戦争でも焼けたので、本堂は鉄筋コンクリートで出来ていました。

お寺の入口の総門は、北区細江町にあった気賀近藤家の陣屋門を移築したものです。その奥の朱塗りの山門や小さな石橋は江戸時代から続くものです。

本堂左手にある千代吉稲荷を勧請して豊川稲荷になったといわれ、豊川まで行くのに面倒な人やご利益がなかった人は、ここにお参りすると良いかもしれまんせんよ。


BY 高丘店 杉山

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