姫街道を歩こう Part5
三方原神社の石碑群
1、気賀三富翁之碑
三方原開拓の恩人の気賀林の顕彰碑です。
地域行政に大きく貢献し「財産、長寿、子孫」に恵まれ三富翁の称号が林県令より贈られました。明治24年5月に三方原の気賀屋敷北側に建立されましたが浜松環状道路に当たった為昭和57年にこの三方原神社境内に移転されました。
2、三方原小学校発祥の地明治5年浜松県は急いで小学校を開拓するように館内に通達し翌6年に寺院、神社を仮教室として各所に開校しました。
この地に新校舎を建てて三方原学校が開校しました。
3、三方原開拓の碑百里園製茶工場の閉鎖により訪れた三方原開拓村の存亡の危機を7名の勇士が救いこの7士をたたえこの碑が建てられました。
明治維新により三方原には旧幕臣800余りが移住してきました。
明治5年には士族授産政策として「百里園」が創業されましたが時と共に経営が悪化し54戸に激減し御料局はこの土地に植林し山林化する方針を打ち出しました。
村の将来を憂えた7人は実施されればせっかく切り開いた耕地の大部分は山林になり開拓の苦労が水の泡に帰すと考えこの土地を静岡農工銀行からの借り入れ金で買い取りました。
村民有志に売却し住民に分割所有させ、住民も7人の努力にこたえ精励し次第に実績をあげるようになり三方原開拓村は存亡の危機を免れました。
4、徳川恒孝(第18代)お手植えの松
徳川宗家17代当主の長男徳川家英氏が植えた松の木が枯れ、昭和59年に18代当主の徳川恒孝氏が代わりの松の木を植樹し、それも松食い虫の為に枯れ平成6年に総代の役員が植え現在に至っています。
ウォークの時はうっかりしていて気づかなかったのですが10月29日早朝に長さ約2メートルの枝が一本切り落とされていたとその後静岡新聞に記事が載っているのを見ました。
のこぎりのような物で切られた跡が残っているそうです。心ない人がいるものですね。
この松の歴史を考えたらとてもそんな事出来ないはずなんですが残念ですね。
その他、不動ホコラの道標、倉跡、不動尊等あります。三方原神社の場所も知らなかったのでモチロン初めて行きました。神社より少し西の方に士族屋敷跡があります。
見に行きなるほどっと思いました。
ここ三方原神社で昼食でした。10時から歩き始め13時30分の少し遅い昼食となりました。予定ではあと2時間歩きます。
それでは6に続きま?す。
高丘店 杉山
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