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「浜松城下を歩く」1

<松江町バス停?江戸時代の城下町の東側>
12月7日(日)にまたまた博物館主催によるウォーキングに行って来ました。
今回は、浜松城下を歩くという江戸時代のお話です。
集合場所は松江町バス停です。

浜松駅東街区の再開発で町名は消えてしまいましたがバス停はそのままでした。 ちょうどバス停の辺りに浜松城下町東側の入り口である木戸がありました。
馬込川を挟んだ東側にも木戸があり東側の木戸は「外木戸」(今の木戸町)、松江町バス停のところは「内木戸」と言われていました。
ここの木戸は江戸時代の東海道の新しく出来た入り口です。

江戸時代、朝木戸を開け、夜閉めたそうで今の時代は世の中物騒ですが昔はわけの解らない人は通る事も出来ないようになっていました。
夜は時間が来れば閉まってしまうので安心して休めたのかなぁと思うのとそれが当たり前の時代ですよね。 バス停西側の道のところが江戸時代の馬込川の堤防で、東側は新しくできた堤防だそうです。

10月15日に「弥次喜多ウォーク1」で紹介している旧笠井街道入り口と掛塚入り口と説明のあるあたりに「外木戸」があったそうで木戸すぐの所から笠井と掛塚に行く道に分かれていました。馬込川東側の木戸町の信号の所は江戸時代より前の時代の堤防だそうです。

馬込川東側の堤防だった所を歩き文化芸術大学の見える場所まで行きました。
今は住宅街なので堤防と言われてもピンと来ませんでした。

船越町は江戸時代より前の東海道の渡しの地点でした。船越町は荷物を船に乗せて運び東海道と港を繋いでいた物流の中心です。
街道と川が交差している所に新しい町ができたそうです。
今は町名はなくなってしまいましたが遠州病院駅辺りにあった早馬町も馬車など馬を使った物流に関係しているということでした。

文化芸術大学を作る時に発掘調査が行われた江戸時代以前の鎌倉、室町時代に住んでいたと思われる名残があったそうです。

文化芸術大学西北辺りのようです。

高丘店 杉山




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