被災地の新聞販売店 その1

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先週、岩手・宮城・福島の新聞店をたずねて来ました。

 
静岡県毎日会(毎日新聞販売店会)から3県の毎日会会長店にお見舞金を届けるためです。


まず新幹線で盛岡まで行き、レンタカーで釜石まで行きましたが、車窓から眺める限りでは、気をつけてみなければ、3ヶ月前に大震災があったとは気がつかないくらい。



 

最初に訪ねた釜石の菅原会長は、震災後なかなか連絡がとれず一番心配された方でした。

 


「震災後、電気も電話も使えず外からの情報がまったく入らない状況が数日続いた、新聞も届かなかった。自分のところは被害もなく、同じ町であんなにひどい津波があったことも知らなかった。パトカーが早く避難するようにとスピーカーで流していたが何のことかわからず後で気づいたくらい」
 

 
 

「当初は6割くらいの客が避難して配達できなかったが、今は半分くらいは戻ってきた」
 
 


「ある新聞社は、他の地区でガソリンを拡材として営業していた。被災者をバカにしている」

 

 

「全国紙の本社は新聞店への対応がすばやく助けられた。落ち着いたら今回お世話になった人のところに回りたい。」

 
 
 
菅原さんからは意欲的な言葉ばかりが聞かれ、我々のほうが元気付けられるくらいでした。


 


さて菅原さんのお店から一キロほど行くと川があり、その川をを越えると今までとは別世界。津波で壊滅的な景色が広がります。この地域も道路は通れるようになったものの、まだ復旧までにはかなりの時間がかかりそうです。同じ町でも落差が激しくこうした状況を克服していくのは住民としても大変なことだろうと感じました。

 
 

夜は仙台にはいり、毎日販売センターの佐藤さんと会食。

 

 

仙台の街は復興景気もあるのか、非常に賑わっていて元気でした。
 
 

「震災翌日は各社印刷工場が被災して、届かない新聞社もあったが毎日は何とか配達することができた。でも一部の地域でスタッフがそろわず配達できなかったことが今でも悔しい。被害にあったスタッフもいるのでしかたがないことだが、はってでも出ろと言えばよかった」
 
  
 

「翌日からガソリンも食料もなく、被災したスタッフとともに会社に食料などを持ち込み共同生活した。自然と食量調達班、ガソリン調達班ができて大変なときを皆で乗り切ることができた」

 
 


佐藤さんがとつとつと話される言葉から


 
 


どんな時でも新聞をお届けするという、新聞販売店の使命というものをあらためて気づかされた次第です。


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