新聞販売店の震災シンポジウム



先週、仙台で開かれた新聞販売店の東日本大震災シンポジウムに参加してきました。





岩手・宮城・福島3県を代表して6人の新聞販売所長が、震災当日から現在までの奮闘の日々についての報告を聞きましたが、実の娘や店長を亡くされた方、店舗が火災や津波に流された方など、つらい過去を振り返ることはシンポジウムとはいえ皆さん胸中複雑な思いだったようです。






岩手日報山田販売所の梶山さんは、津波直後の大火災で店舗が焼失し、現在は廃院となった県立病院の手術室を仮店舗として営業しているそうですが、学校にはなじめなかったものの中学を卒業して始めた新聞配達にやりがいを見出した17歳の青年を亡くしたことが今でも忘れられないことでした。






毎日・福島民報小名浜所長の阿部さん、震災翌日から、がれきの中を配達したものの原発事故発生により配達中止を余儀なくされ、また再開してからも雨の日は社員が不安となり所長一人で配達をしたとのこと。
「人は無力になった時、頼りは情報すなわち新聞である」という言葉には被災者とのふれあいからの実感が込められていました。






大船渡・陸前高田の所長さんは学校の部活に出かけていたお嬢さんが行方不明となりDNA判定の後遺体が発見されたのは2か月後という悲しい出来事を乗り越え、今は町内の倉庫を仮店舗として営業しています。
「この一年は後悔ばかりの一年だった」という言葉の重さに、「頑張ろう東北」などと軽々しく言えない現実を思い知らされた次第です。




彼らの教訓から得たことは

1、 顧客台帳(順路帳)、経理など経営上の主要データの2元管理(社外管理)
2、 ガソリン・電源の確保(1か月近く停電していた店もある)
3、 避難所(場所)の確認
4、 社員の安否確認など初動体制の明確化
5、 近隣店舗(同業者)との連携
                       など





1年4か月を過ぎて、少しづつ復旧は進んではいるものの今なお不便な暮らしを余儀なくされている新聞所長の皆さんがこうしたシンポジウムの場に立つのは





「東日本大震災の記憶を風化させてはならない」という強い想いがあるからでしょう。





私たちもこの想いを強く心に受け止めなければならないと思います。




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浜松暮らしを楽しむ人を応援するアウンズ・ヤナギハラ社長の日記です。

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