時間が止まったままの町

 
 
 

シンポジウムの翌日、南相馬市原ノ町の藤原新聞店を訪ねました。
 
 
 
 
 




 
 
 

ここは原発から28キロ程のところ、藤原君は原発直後、福島市まで避難せざるを得なくなったものの地元の同級生から「こんな時こそ新聞配らなきゃダメじゃない」の一言から決意を固め、まだ屋内退避地区であったにもかかわらず1週間後から配達を再開しました。
社員もおらず、警戒区域のため新聞も店舗までは届かず、やむなく弟の経営する相馬市の店まで新聞を取り出しに行き一人で半日くらいかけて配達を再開しました。ゼロになったお客様が少しずつ地元に戻ってくる中で、配達してくれることを知ると毎日ひっきりなしに注文の電話が入るようになったそうです。
 
 
 
 

 


 
 
 


「新聞屋としてこれほどやりがいを感じた時はない」。

 
  



 
 

 
 
 
こうした苦難な時ほど新聞店の社会的使命を強く感じるときはありません。
 
  
 
 

 



 
 
 
 


さて南相馬市はいくつかの区があり、原ノ町地区は放射線量も低くほぼ普通の生活に戻っていますが、お隣の小高区は地盤が弱く建物の倒壊や津波の被害を受け、その上計画避難区域となったため現在でも震災当日の様子を残した、時間が止まったままの町でした。 
 
 
 
 




 
 
 


6月より避難解除準備区域となり、町に入ることができようになりましたがインフラが寸断され、また大気中の放射線量は低いものの除染が進まない限りは倒壊した建物の取り壊しや改修もままならず、まだ人が住めるようになるまでにはかなりの時間がかかるとのこと。
 
 
 
 




 
 
 


一見何事もなかったような街並みのところもあり、こうして人が誰もいない町というのは何か不思議なきがしてなりません。

 
 
 
 
 




 
 

南相馬市から一家に1台ずつ線量計が配られましたが、大気中の放射線量は低いものの市街地から少し離れればホットスポットがあり、常に線量計は手放せないとのこと。

 
 
 
 




 
 

「放射線量が0.5以上だとやっぱり気になるね」というのが本音のようです。
 
 
 
  




 

こうした不安にさらされながらも地元に住み続ける人たちのことを思うと、私たちは何を言えばよいのかどうすればよいのか・・・・。
 
 
 




 
 
 
 

「こうして来てくれるのが何よりうれしい」
 
 
 



 
 
 
 

藤原君の言葉から、あまり意識せずに普通に接すること、そして福島の人たちに寄り添う気持ちを忘れないことが大切なのかなと思います。

 
 



 
 
 
 
 
 
ずっと行きたいと思っていた南相馬。次は来年の野馬追祭りの時に行きたいと思います。
 

 
 
 
 
 



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